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「矢筒山」暮らしとともに移り変わる里山

「矢筒山」暮らしとともに移り変わる里山 「矢筒山」暮らしとともに移り変わる里山

「〜飯縄山麓発〜白地図を夢色に」白地図をぬろう会/編著 より

JR牟礼駅から歩いて15分ほどのところに、矢筒山というこんもりとした小山があります。標高は567メートルで、周囲の水田からの比高は50メートルくらいあります。地形は、東北 東-西南西方向の軸を持つ楕円状の高まりで、この軸を境に約20°前後の緩傾斜の南側斜面と30°〜40°以上の急傾斜の北側斜面に分けられます。山麓には飯綱病院や福祉施設などが建 ち、山頂には太平洋戦争の戦没者慰霊碑が建てられています。
この山は、地元で城山とも呼ばれており、中世の時代には太田荘島津氏が築いた山城があったとされています。今も内堀、外堀や三日月堀などの跡が残るほか、南麓では城下の館跡 も発掘されました。当時は自然の地形を生かした堅固な山城であったと想像されています。(※1)江戸時代になって城は廃止されましたが、矢筒山は北国街道牟礼宿のそばにある身近な山として、人々の暮らしとともに利用されてきました。日当りのよい南斜面には畑が広がり、戦前には山頂近くまで麦畑が続いていたということです。畑の耕作は昭和40年代前半に至るまで続 きましたが、その後次第に利用されなくなり、今では高さ16メートルに達するケヤキやカラマツなどが茂る半自然林になっています。(※2)平成9年(1997)には、長野県の郷土環境保全 地域にも指定されました。
小さな子どもでも気軽に登れる山ですが、四季を通じてたくさんの種類の植物を見ることができます。春は北東側の斜面に見事なカタクリの群生があり、夏にはキツネノカミソリの群生 も見られます。また周囲の水田などでえさをとるサシバというタカの仲間の鳥を見かけることもあります。私たちの暮らしの移り変わりとともに、この里山も姿を変えつつあり、適切な利 用と保全に向けた新たな取り組みが必要になっています。

(※1)牟礼村誌(1997)
(※2)富樫 均(2007)「過去100年にわたる里山の環境変遷復元の試み一飯綱町矢 筒山の事例一」長野県環境保全研究所研究報告3.

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