武州(武蔵=江戸)と加州(加賀=金沢)の中間地点を示す道標。江戸初期の建立という。加賀藩の参勤交代の折、ここまで到着したら江戸と金沢へ無事を報せる飛脚を出したという伝承がある。 北国街道の最大行事は加賀藩の江戸参勤であり、約三千人の行列が通った。道中百二十里の中間地点に、江戸初期建てられた自然石の碑があり、元の地を立石と呼ぶ。