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古道・史跡を歩こう ~北国街道と牟礼宿をたどる旅~

江戸時代に整備された東海道や中山道などの五街道。越後と信濃を結ぶ幹線は、中山道との分岐点である追分宿(軽井沢町)から千曲川沿いに善光寺を経て、越後から北陸道に合流する脇街道「北国街道」として整備が図られ、佐渡島の金銀を江戸に運ぶ道として、また三都(江戸・京・大坂)に次ぐ大都市として栄えた金沢と江戸を結ぶ大幹線として、五街道に次ぐ重要な役割を果たしました。

その街道の中でも信越国境と信濃の主要都市である善光寺町の間に位置したのが、飯綱町の牟礼本町にあった「牟礼宿」です。およそ280年にわたって金銀輸送や参勤交代の重要な中継地点として、また交通の要衝や山国に必要な塩・海産物などの物資輸送拠点として栄え、現在でも本陣や脇本陣、問屋、旅籠などの跡が残っています。
飯綱町に今なお息づくこうした宿場町跡や史跡を訪ね、往時に思いを馳せる旅に出かけませんか。

列島の要衝として重要な役割を果たした牟礼宿

古くから越後と善光寺平を結ぶ交通の要衝として重要視されていた牟礼の地。中世にはこの地を治めた島津氏の居城・矢筒城の城下町として発展し、江戸時代に入った慶長16年(1611)には宿場町「牟礼宿」として正式に認められました。

宿場には本陣、脇本陣、問屋、旅籠などが設置され、江戸後期には家屋143軒、寺院4軒、人口746人を擁する周囲の経済的、政治的中心として発展します。全長600mで東西に枡形が配され、行政区間が東組と西組に分かれて、月の半分で宿場の運営業務が交代し負担の軽減を図っていました。

この牟礼宿とその西に続く小玉集落は、江戸へも加賀へもちょうど約60里(約240km)の中間地点にあたります。小玉集落のほぼ中央には、武州江戸と加州金沢のまさに中間地点であることを示す「武州加州道中堺」の道標が残されており、かつて加賀藩では、江戸からの藩主初入国の際は領内の馬200頭が荷物運びのために牟礼宿まで出迎えるのが恒例だったと言われています。

参勤交代でこの道標まで来たときは、国元と江戸へと飛脚を走らせて無事を知らせたのだとか。また、小玉集落には佐渡金銀荷の中継点「金付場(かねつけば)」もあり、多いときには60頭の馬に積まれた金銀が野尻宿から到着して、牟礼宿でまた別の馬の背に付け替えられて善光寺方面に送られたと伝えられています。

そして、地理的には牟礼宿は豪雪・高原地帯と内陸地帯の境にあたり、旅人はここで降雪の状況を見極めたのだそう。

さらに上杉氏の時代には、牟礼宿が越後から善光寺平への基点に位置づけられ、牟礼から長沼を経由する「松代通り」に加えて、横道として通行禁止だった新町̶宿を経由する「善光寺通り」も公認になりました。この善光寺通りは距離としては善光寺に近いながらも、降雨による増水時には通行止になることから「雨降り街道」ともよばれ、荒天時には足止めを食らった加賀藩参勤交代行列が連泊するなどの異例な長逗留(とうりゅう)も見られたと言われています。くわえて、牟礼宿は松代城下への脇街道や戸隠道、飯山道を分岐する重要な役割も果たし、街道沿いには当時の面影を残す史跡も数多く現存しています。

本物の北国街道”の面影を残す小玉集落

牟礼宿と古間宿の間にある小玉坂は、約2kmの急坂が続く山道の難所とされました。しかしながら、江戸時代には旅人が休む茶屋が置かれ、次第に開墾が進んだことで眺望が開けて、足元に流れる鳥居川の渓谷と相まって風光明媚な景勝地として知られています。

「春は四方の高山に山桜を見、夏は茂山に涼月を見、秋は紅葉野辺の千種に鶉(うずら)の鳴を聞、冬は雪の梢(こずえ)に花を見る」

1711(正徳元)年に『東武道中輯録』を著した加賀藩士浅加久敬は、小玉坂の美しさをこう讃えました。また、戦国時代には川中島合戦真っただ中の上杉勢が、1564(永禄7)年9月に野尻城を武田軍から奪い返した際、日々小玉坂まで偵察を出したとも伝えられています。山道を抜けると、正面に武田勢が陣取る髻山(もとどりやま)が丸見えだったからです。坂の途中には上杉謙信が馬を止めたという伝説の「馬止清水」があり、江戸時代にはその傍らに一里塚が築かれました。

そんな北国街道も、明治に入ると近代車両の通行を図るために迂回(うかい)路開削と拡幅がなされ、周囲の風景は一新します。ところが、この小玉坂は旧道の約200mが手付かずのままで、結果的に江戸期の面影を今に残す古道となりました。今、この小玉坂に“本物の北国街道”を求め訪ねる人が後を絶ちません。そうした経緯もあって、2006(平成18)年には、黒姫ー牟礼間の北国街道が「美しい日本の歩きたくなる道500選〔北国街道・野尻湖の道〕」に選ばれています。
地元「小玉こどう会」の皆様による年3回の下草刈りなどの活動により、昔ながらの道でありながら、歩きやすい道を楽しんでいただけます。

北国街道のマップを見る

北国街道は、中山道と北陸地方を結ぶ道として江戸時代初めに開かれ、佐渡の金銀や大名の参勤交代が行き来した歴史の道です。

小玉古道のマップを見る

小玉古道とは北国街道の小玉地区に残る昔ながらの土の路面と山道の景観が一番長い距離で残っているといわれ、「美しい日本の歩きたくなる道500選(一茶と歩く北国街道・野尻湖の道)」にも選ばれています。

スポット紹介

お問い合わせ

飯綱町観光協会 TEL.026-253-7788