矢筒城の城下町はずれにあり、首切松の地蔵といわれてきた。彫銘は天正(安土桃山時代・1573-1593)と解されていたが、時宗の影響がある古い様式から永生(戦国時代・1504-1521)と判読され俄然注目された。 永正4年(1507)造立の石造地蔵尊。北国街道以前の善光寺平への道は、矢筒城下からこの地蔵尊前を通ってゴルフ場から平出へ延びていて「室飯道」(むろいみち)の古地名を残している。