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「芋川の歴史を歩く」城山から戸谷峰へ

「芋川の歴史を歩く」城山から戸谷峰へ 「芋川の歴史を歩く」城山から戸谷峰へ

「〜飯縄山麓発〜白地図を夢色に」白地図をぬろう会/編著 より

飯綱町芋川地区の中心部の低地には、芋川氏の館跡があります。この館跡は、平安時代に芋川荘の政所であったところといわれ、後にその荘司の子孫にあたる豪族芋川氏の居館もこの近くにありました。今は堀の家(森家)と称する一軒家があって、家の北と西にL字形に土塁が残っており、現存する部分は東西方向に25メートル、南北方向に20メートルあります。2001年から行われた発掘調査では、漆器・椀・硯・茶臼など芋川氏に関係したと思われるものも出土しています。(※1)
また、山の上には中世の山城跡があります。中でも鼻見城址は展望がすばらしく、ぜひ訪れたいところです。山の北側から車で登れば、歩いて数分で本丸跡へ着きます。標高722.7メートルの鼻見城山の頂に構築されたこの山城は、奥信濃で大きな勢力を持っていた芋川氏の砦でした。本丸跡は東西25メートル、南北6メートルの楕円形で、土塁の跡はなく平たんです。眼下には三水の田園風景、南に髻山、東に千曲川、その向こうには菅平や笠岳の山々が一望できます。 若宮城址は登るのに少しばかり労を要します。南側の若宮集落から細い山道を登り最後に急な階段をへて20分位でたどり着きます。周囲は絶壁ですが、現在の山頂は木々に囲まれ、眺望はききません。標高698メートルの山頂に本丸を置き、これに続く尾根全体と南麓と北麓に空壕をめぐらしています。この地方においてはかなり大規模な山城で、芋川氏の居城でした。本丸跡は東南に面した断崖上にあり、東西23.5メートル、南北16メートルの長方形です。
日向地区は飯綱町の奥座敷のようなところです。昔ながらの藁葺き屋根の家が残る山の中の集落ですが、急勾配の土地のせいか、現在はほとんどが空き家になっています。散策をするには落ち着いたよいところですが、冬の生活の厳しさが想像されます。最後にご紹介する戸谷峰は標高756メートルの頂を持つ峰です。現在の山頂は、木々が育ち、北側の弱電動や関田山系、上平方面がわずかに見えるだけですが、南側の車道は 見晴らしが抜群です。旧三水村地域を見渡し、また眼前にそびえる妙高山は迫力満点です。

(※1)三水村教育委員会(2003)「手川氏館跡発掘調査報告書」ほか

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