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「小玉山の旧北国街道」冬もまた楽し

「小玉山の旧北国街道」冬もまた楽し 「小玉山の旧北国街道」冬もまた楽し

「〜飯縄山麓発〜白地図を夢色に」白地図をぬろう会/編著 より

飯綱町小玉(こだま)から信濃町の落影(おちかげ)集落に至る約4キロ(山道の部分は2.5キロ)の北国街道が、江戸時代の面影を残しながら現存しています。
大部分が未舗装のままの土の道です。小玉から落影までの標高差は170メートルほどで、この間に小玉坂、赤坂、金坂という三つの坂があり、小玉坂が一番長く急な坂になります。こんなに傾斜が急では国道には適さないと、今から78年前の昭和7年に西に大きく迂回した付け替え道路がつくられました。このため小玉・落影間の旧街道は、江戸時代の面影をとどめたまま今に伝えています。
小玉坂からの眺望はすばらしい。かつて参勤交代で江戸に出向くとき、加賀藩や高田藩などの一行は、この坂からパッと開けた視界の様を見て、牟礼宿が近いことを知りホッとした場所でもあったことでしょう。山の中はスギやカラマツの木立が鬱蒼としていて、夏でも涼しく快適で、小学校児童の遠足コースとしても利用されています。近年の街道ブームもあって、この道を歩く人も多くなり、舗装していない街道として人気も高くなっています。
小玉坂を登りきった上の平らには、茶屋や一里塚の跡があり、赤坂・金坂をこえると、明治天皇北陸ご巡幸の際の御野立所の跡もあります。落影の集落が見える近くまでくると、街道脇の草むらの中に「水準点]を示す石柱があり、昭和初期まで国道であった証を伝えています。この道には、途中、北に向かって右に分岐する「戸草道(とくさみち)」、左に分岐する「辻屋道(つじやみち)」などの枝道があり、当時の一級幹線国道だった風格をとどめています。
「江戸時代から明治期までの小玉山は、ほとんど切り開かれて、耕地として雑穀などがつくられてきました。下の小玉集落から、急な坂道を登ってきて耕作することはさぞ大変だったろうと、当時の苦労が偲ばれます。多くの歴史を秘め、昔の面影を残すこの素朴な街道を、大切に保存したいものです。


~雪の里山を歩く~
冬から早春の時期に里山の古道を歩くのもオツなものです。
除雪がされていないので、スノーシュー(西洋かんじき)などをはいて歩きます。
落影から小玉に向かうようにすると、上り坂のないルンルンコースになります。
落影では、雪原に浮かぶ黒姫や妙高な江戸時代の面影を残す道どの山々を望み、ときどきウサギやキツネなどの足跡を見ながら、明るい林の中を進みます。途中の「雪のテーブルを囲んで茶屋跡の広場などで、スコップで即席のテーブルをつくると、そこはレストランに早変わりです。3月にもなれば、雪間にフキノトウやセリを見つけることができるでしょう。


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